外国人労働者 環境改善を

最近、私の周りでも外国人を見かけることが多くなっている気がします。
1月27日付朝刊によると、昨年10月末時点の外国人労働者が
過去最多の204万8675人に上り、初めて200万人を超えました。
今の日本は人手不足が深刻なので、本当にありがたいことだと思います。
外国人労働者の国籍はベトナムが最も多く、51万8364人でした。
文化や言葉がほとんど分からない国で働くのはどれだけ大変なことでしょうか。
その一方で、外国人労働者を取り巻く厳しい環境が問題になっています。
技能実習制度を含め、外国人労働者にとってより働きやすい環境をつくるために、
現在の制度を改善してもらえればと心から願っています。
働きやすい環境づくりのために、行政でなくてもできることはあると思います。
例えば、私たちはベトナムについてどれだけ知っているのでしょうか。
他の国を知ることで、
彼らのためにできることのアイデアが生まれてくると思います。
今こそ、外国人を手厚く迎える「おもてなし」のベクトルを、
観光客から労働者へとむけるべきではないでしょうか。

2024年2月8日(木) 京都新聞 「読者の窓」掲載

自転車ヘルメット着用を

私の中で今後、注意深く見ていきたいと思うことがあります。
自転車のヘルメット着用が4月から努力義務になることです。
今までは子どもだけが努力義務でしたが、今後は全年齢が努力義務となります。
安全性を考えれば着用した方がいいのはもっともなことですし、
各種データもそれを証明しています。
そして大事なことだとおもうのですが、
子どもの模範とならなければいけない大人は努力義務ではなく、
もう義務だと考えてもよいのではということです。
今まで大人は子どもに対して着用を促していましたが、
もし4月以降に大半の大人が着用していなければ、
子どもの大人に対する信用は失墜するでしょう。
今は警察の方が率先して広報活動を行っておられますが、
会社や行政機関は従業員や職員に対して自ら積極的に広報活動をすべきではないでしょうか。
もし所属する従業員がヘルメットを着用せずに自転車で出勤することがあれば、
それは恥ずべきことだと思います。
そして、着用を促すことは広い意味では企業が果たす社会的責任ではないでしょうか。
4月以降、子どもたちは大人たちを注意深く見てほしいなと思います。

2023年3月3日(金) 京都新聞 「読者の窓」掲載

“お得”への意識変えよう

マイナンバーカードや各種需要喚起策などでポイントがもらえたり
お得な割引が受けられたりする制度があります。
電力逼迫に対する節電でもポイントがもらえるようになるそうです。
つくづく思うのですが、
われわれはいつから目の前にニンジンをぶら下げられないと
動けなくなったのでしょうか。
その必要性や魅力を最大限に伝えていくことが、本来の姿であるはずです。
また、使われる原資は税金です。
マイナカードに関して言えば、参加する人は支払った税金が戻ってくるだけで、
言い換えれば経費の相殺です。
参加しなかった人は、
自分の意図に反する事に自分が支払った税金がばらまかれるのと同義です。
各種の政策にそれぞれ賛否は別にして、必要性は理解できます。
しかし、国というものは一企業ではないはずです。
ポイントや割引に頼る政策は間違っているのではないでしょうか。
われわれは、
国に対して割引やポイントを求める姿勢をただすときではないでしょうか。
そうでなければ各種政策が持つ本来の趣旨は達成されないのではと思います。

2022年7月23日(土) 京都新聞 「読者の窓」掲載

資格取得 勉強に無駄ない

「足の裏についた米粒」。
資格の取得をこのように表現することがあります。
その心は「取っても食えない」。
足の裏についた米粒は汚くて取っても食べることができず、
これを資格取得になぞらえた表現です。
確かに独占業務などが発生しない資格ならば、
その資格を取得しても稼ぎやすくなるわけではなく、
取っても食えません。
それならば他の事に時間を費やした方がましといえます。
しかし、私はそうとは思いません。
どんな資格であれ、
その取得を目指して勉強する事は意味があると思います。
まず、勉強しようと思った動機づけが重要だと思います。
また、得た知識の中で人生で無駄になるものなど何もないと思います。
得た知識はその人の言動に必ず表れ、
人生に素晴らしい彩りを与えるものだと思います。
資格というものは、
その知識の習得に明確な目標と達成までの道標を与えてくれる、
素晴らしいものだと私は思います。

2021年11月11日(木) 京都新聞 「読者の窓」掲載

初心・高齢者マーク明示を

「○○ファースト」という言葉をよく聞くようになりました。
〇〇の部分には対象となる者が入ります。
車の運転という場面で、この対象所は誰でしょうか。
それは初心者や高齢者であると思います。
どんな世界であっても初心者の技術は周りに比べ劣ります。
そして人間は年齢とともに必ず身体能力が低下します。
ともに事故を起こす危険性を含んでおり、それは誰であっても同じことです。
しかし、対象者が分からなければ周りも気遣いをすることはできません。
それを知らせる仕組みとして初心者マークや高齢運転者マークがあります。
しかし残念ながら、私の周りでは適切に使用されていると思えません。
「自分は大丈夫、格好が悪い」などが理由でしょうか。
それはただの過信であり、ドライバーとしての自覚の欠如だと思います。
それが事故を引き起こすのだと思います。
特に免許取り立ての若いドライバーに言いたいのは、
「手に入れたのは自由の翼でもあり、殺傷の道具にもなりえる」ということです。
そして若い人の手本となるのが高齢者ではないでしょうか。
良い循環が生まれ、痛ましい事故がなくなることを切に願います。

2021年 5月9日(日) 京都新聞 「読者の窓」掲載

衣食住足りる国 なぜ混乱

生きていく上で必要なものは何か?。最近ふと考えました。
昔から言われているのは「衣食住」の三つの要素だと思います。
これに事足り、近くに図書館でもあれば、十分に平穏な日々を送れそうです。
しかし、このコロナ禍によって、日々の生活がままならない人たちがたくさんいるということを見聞きします。
そこで考えたいことがあります。
この国では、衣類の寄付を募ればすぐにコンテナ数台分の服があつまるそうです。
そして、食べられる物の大量廃棄である食品ロスや、近所でも見かけるようになった空き家は、この国の根深い問題です。
そう、この国は衣食住という三つの要素に満たされている国です。
普段からこの三つの要素に事欠く状況なら、コロナ禍によって混乱に陥るのは分かります。しかし、満たされている国でなぜ、こんなに混乱しなければいけなかったのでしょうか。本来ならすぐにコロナを克服し、他国の援助に回るぐらいのことが求められたはずです。
何が悪いのでしょうか。「政治家」と言ってしまうのは簡単ですが、問題を直視していない気がします。個人個人の意識、原点はここではないでしょうか。

2021年 2月20日(土) 京都新聞 「読者の窓」掲載

爆破予告 本当に起きたら

ここ最近、新聞を読んでいてとても胸騒ぎするニュースがあります。
それは爆破予告など記事です。
役所や学校などを標的にし、日時を指定して予告を出します。
その結果、休業や休校を余儀なくされます。
幸い、記事で確認できる予告は未遂に終わっています。
しかし、未遂でも役所や学校関係者、特に生徒たちは休まざるをえません。
私は、予告を出した人が判明したという記事をほとんど目にしたことがありません。
何か嫌な予感がします。
おおかみ少年の童話のごとく、
「慣れてしまった頃に本当に起きてしまったら」というものです。
可能性は十分にあると思います。
何か本格的に対策をしないといけないのではないでしょうか。
刑罰を重くしてはどうでしょうか。
捜査の進展状況を記事で伝えることも大切だと思います。
フェイクニュースと同様に、絶対に許してはいけないことだと思います。
世間の関心が高まることを望みます。

2020年 11月8日(日) 京都新聞 「読者の窓」掲載

コロナ禍 考える余裕奪う

戦争、命の重さ、環境問題。ここ最近は時節的なこともあり、
これらに関する記事が多く見受けられました。
世間の人たちも、いろいろな思いを巡らせたと思います。
しかし、残念ながら私はいまいち関心が持てず、人ごとのように捉えていました。
お叱りを受けるかもしれませんが、
「どうでもいい」とさえ思う自分がいるくらいです。
理由は何か?
単純に生活に余裕がないからです。
私は事業を営んでおりますが、このコロナ騒動で状況は一変しました。
何とか持ちこたえている状態です。
冒頭に挙げた問題を真剣に考えても生活は改善されません。
現実問題として日々の生活が危ぶまれる中においては、
これらの問題に思いを巡らせる暇があるなら、目の前にある生活のやりくりに全神経を集中させなくてはいけません。
このような状態になっているのは、特に現役世代ではないでしょうか。
著名人や関係者がいくら問題提起を行っても、
コロナ騒動の影響を受けた現役世代には響きません。
必要なのは状況の改善であり、それによって得られる心の余裕だと思います。
このことが政治に関わる人たちに少しでも伝わればと思います。

2020年 9月12日(土) 京都新聞 「読者の窓」掲載

支援策の地域差 正しいか

新型コロナウイルスによる休業補償の支給が開始されました。
痛手を受けた事業主には救いの手です。
ただ、各都道府県によって支給額が異なるという現実があります。
それぞれの都道府県の財政状況により仕方がないという説明です。
これに対して各知事は国に問題提起を行っています。
当然のことだと思います。
事業主たちは事業を開始する場所を間違ってしまったのかと思うことでしょう。
政府に対する不信感につながるのは当たり前の話です。
しかし、残念ながらこれと同じことが全ての人の身近でも起こっています。
それは市町村単位で行う支援で、例えば水道料金です。
滋賀県内では4ヶ月無料にする自治体も現れました。
もちろん、ありがたい話です。手洗いの推進にもつながるでしょう。
でもなぜ、滋賀県全域でないのでしょうか。
恩恵を受ける地域とそうでない地域で格差が生まれてしまいます。
行政が作る格差です。これは正しいのでしょうか。
例えば水道料金なら特定の地域を4カ月ではなく、
県内全ての地域を1か月無料にするなどの方がよいと思います。
みなさんはどう思われますか。

2020年 5月23日(土)京都新聞 「読者の窓」掲載

買いだめ 試される気遣い

家の近くにドラッグストアがあります。
マスク、ティッシュ、トイレットペーパー、消毒用アルコールなどが、少し前から品切れ状態です。誤情報が混じっていたとしても、なくなってしまうということを考えれば、買いだめした方が正解です。我が家では、トイレットペーパーの在庫が少し心配です。
しかし、見方を変えると良い勉強になるかもしれません。今の状況は、電車やバスの車内と同じです。それはお年寄りや体の不自由な人に席を譲れるかということ。
買いだめすることは、悪いことではありません。自己防衛は人間の本能でしょう。
しかし、近所のお年寄りなどは困っていないでしょうか?お年寄りは行動判事も狭く、近所で品切れなら、その時点で諦めるしかありません。
あなたが買いだめした物の量は本当に必要な量ですか。近隣のお年寄りは途方に暮れているかもしれませんよ。周りへの気遣いや心配り。これがなくなったら、争いしか起こりません。憲法9条改正の問題がたびたび取り沙汰されます。
試されていると感じるのは私だけでしょうか?国内で協力し合えないなら、他国と協調することも不可能です。

2020年 3月12日(木)京都新聞 「読者の窓」掲載

環境破壊 大人全員に責任

2018年に世界で自然災害の被害を一番受けた国は日本。
ドイツの環境シンクタンクの発表を聞いても、特に驚きもしなかった。
確かにこの国は自然災害に見舞われすぎている。
被害を一番うけてるならば、対策にも前向きになるはずだが、そうではない。
環境問題に対するこの国の動きは重い。
化石賞なる不名誉な賞もいただいた。
環境活動家グレタ・トゥンベリさんの発言の中で注視しなければいけないことがある。それは今の環境破壊を招いた責任を「権力者とこれまでの世代」に大して追求していることだ。つまり、政治家だけではなく、全ての大人が招いたものだと訴えている。
これは真実だと思う。電気・ガス・水道・ガソリン。これらの自然からの恩恵を本当に大事に使えているのか。マイバッグ持参なんて今すぐにできること。
政治家だけのせいにしてはいけない。
ただ、グレタさんの行動で唯一賛同出来ないことがある。
それは「学校ストライキ」。
学ばしていただいていることを忘れないでほしい。
若い人がそんな心配をしないで済むように、大人は環境破壊に真剣に取り組まなければいけない。

2020年 1月14日(火)京都新聞 「読者の窓」掲載

ツイートに公金 疑念多く

10月28日付朝刊で、京都市が施策アピールのために、ツイート1回当たり50万円を人気漫才師側に支払ったという記事を見た。公金の使い方としては、信じられない事だ。

ツイートは誰でもできることであるし、私自身も行っている。
利用は無料であるし、1回のツイートを作るなら題材さえあれば5分もかからない。
そんなものに対して50万も支払っていたことに驚く。
そして、市は「問題があるとは考えていない」という。

また、情報の信用性というものに大きな損害を与えたのではないかと思う。
芸能人が各種媒体を通じて善意から行った様々な情報発信が、その裏では金銭のやりとりが発生してほういるのではないかと勘繰ってしまう。
今回の県では、芸能人が発したツイート自体も、京都市側が用意したものではないかと疑ってしまう。
そういう意味においては、健全な情報発信をしている芸能人のも被害者に当たるのではないかと思う。

そして、こういう芸能人の方のツイートに敏感に反応するのは若い世代の方だろう。今回の件を見聞きし、大人社会に対し、また、失望してしまわないかと心配になる。

2019年11月13日(水) 京都新聞 「読者の声」 掲載

年金 将来世代よりもまし

消費増税、必要な老後資金2000万円、マクロ経済スライドといった話題が上がると、年金受給者の方がどれだけ生活が大変かという内容の投稿を「窓」欄でよく見かける。もちろん、生活は大変なんだと思う。ただ、私たち現役世代がどう思っているか。冷たい表現に見えるかもしれないが、「もらえるだけましじゃないですか?」と言いたくなる気持ちがある。
周知の事実だと思うが、人口が減っていくこの国で年金情勢が可能性は低く、
40代の私が受給者になる頃には現状より悪化しているのが当たり前だと思うし、
考えたくもない。そのことを踏まえると、前述の悪態もつきたくなるところである。ただ、間違ってほしくないのは、この国のために頑張ってこられた高齢者の方には、健やかな老後を過ごしてほしいとは思っている。
本来の年金の姿は「現役世代からの仕送り制」だと聞いた事がある。
パチンコ・競馬・宝くじ、これらの場所で高齢者の姿をよくお見かけする。
仕送り制という事を前提で考えると、
生活保護制度同様、年金制度は使途にまで踏み込んでいかなくてはいけない問題なのかと思う。

2019年10月11日(金) 京都新聞 「読者の声」掲載

大津事故 人ごとではない

大津市で起こった事故についていろいろと詳細が分かってきたが、
報道にあるとおり、事故がおこったT字路は見通しもよく、客観的にみてあまり危険性が高い箇所とは言えない。
その中で報道などではあまり触れていないが、地元の人間として思うのが、
注意力が散漫になりがちな道路であるという事が言えると思う。
事故の主因と思わている右折車は、おそらく琵琶湖沿いを数百メートル走行してきたと思われるが、あの付近一帯琵琶湖はを学生たちのボートが浮かんだり、散歩の方、釣り人が行きかったりと優雅な光景が続く一体となる。
それらを眺めながら走っているといつの間にか「心ここにあらず」といった状態になる可能性はあると思え、「考え事をしていた」という趣旨の供述をされていたことからも、注意力が散漫になっていたことがうかがえる。
そして、これは湖岸沿いを走行した経験がある全てのドライバーに心当たりがあるのではないかと思え、決して人ごとで終わらせてはいけない事故なのだと思う。

2019年6月8日(土)  京都新聞 「読者の声」掲載

観光公害 京都はぜいたく?

公害とは事業活動などの人為的な原因から、地域住民や公共一般がこうむる肉体的、精神的、物質的な種々の被害や、自然環境の破壊のことだ。
「観光公害」という言葉があるが、他府県や他国からわざわざ来てくれた人に対して、公害という言葉を使うのはどうかと思う。
観光という良い響きと、公害というあまり好ましくない言葉をくっつける事に対しても、違和感を覚えるのは私だけだろうか?
観光客の誘致に躍起になっていたことは忘れ、増え過ぎたらまるで邪魔者扱いする姿勢はどうかと思う。
観光という恩恵で京都の財政が潤っているのは事実である。
そう遠くない自治体では、予算案が通らずにご当地キャラの活動が制限されたり、毎年恒例の花火大会が中止の危機にさらされている状況がある。
お気に入りの店に行きづらくなったという嘆きの言葉があったが、
その店の方は観光という恩恵を最大限に享受して、喜んでいるはずである。
バスなどにしても、満員で乗りにくいという状況なのはわかるが、
必要なのに存続そのものが難しい自治体だってある。
京都は少しぜいたく病なのかもしれないと思うのは私だけだろうか?

キャパを超えているなら、「もう、来ないで下さい」と言えばいい。

2019年4月27日(土)  京都新聞 「読者の声」掲載


くん付け 曖昧な大人社会

二つの予備校の新聞広告があり、合格者の声をそれぞれ多数掲載していた。
しかしその中で男性のコメント主たちの敬称に違和感を覚えた。
一方は男性を「くん付け」で、もう一方は「さん付け」だった。
今は小学校でも【あだ名】や【くん付け】を禁止し、全員を「さん付け」にしているところが増えていると聞く。いじめの問題や男女平等の観点が理由だそうだ。
賛否両論あるみたいなので一概にこれに対してはコメントはできないが、
問題は大人社会が曖昧だという点だ。
テレビでも有名人のあだ名呼びを見かける。
会社でも先輩なら「さん」、後輩なら「くん」。
ただ、後輩でも年齢が上なら「さん」、同い年ならどうしよう・・・など、敬称を面倒にしてしまっている。
この曖昧さは、外国の方にとっても難しい問題ではないか。
これからますます外国の方が増えると聞く。
ただでさえ日本語が難しいと敬遠される中、日本人でも明確な説明ができない敬称の曖昧さには、一定のライン引きをするべきだと思う。
そして、それは子供たちに合わせるという意味でも、全員「さん付け」が正しいのではないだろうか?

2019年3月21日(木)  京都新聞 「読者の声」掲載